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【体験談】適応障害で、休職しないで退職を選んだ話【後悔なし】

【体験談】適応障害で、休職しないで退職を選んだ話【後悔なし】
harimi

適応障害だけど、休職しないで退職してしまいたい。辛くて苦しくて、今すぐ辞めてしまいたい。

「まずは休職」が推奨されているけど、いきなり退職は
NGなの

こんな人に向けての記事です。

結論から言うと、休職せずに退職して、後悔はしていません

しかし、誰にでもお勧めできる方法でもありません。休職と退職どちらがいいか?に、万人共通の答えは無いからです。

ここでは実際に「休職しないで退職した」経験から、次の3つを中心にお話しします

  • なぜ退職を選んだのか
  • 退職してどうだったか
  • もし休職していれば…と考えること

適応障害は人生のなかでもとくに辛く、苦しいものでした。休職か退職かの瀬戸際は、悲しくて悔しくて夜も眠れませんでした。

退職して半年以上たった今でも「もし休職していたら…」と考えることがありますが、結果はいつも「退職してよかった」に落ち着きます。

しかし、「もし○○だったら休職を選んだのにな」と悔しく思う気持ちがあるのも事実です。

どちらにしても、あなたが職場から距離をとれることには変わりありませんので、そこは安心してくださいね。

いま悩んでいる人へ、少しだけ前を歩いた私の話が、お役にたてれば幸いです。

はりみ
はりみ

「もし友だちや家族に相談されたら、こう答えよう」

そんな気持ちで書いていきますね。

退職を選んだときの状況

会社の状況・風潮

  • 退職しても人の補充がなく人手不足
  • 緊急性がなくても、休みの人への連絡が普通にある会社
  • 私の後に入社した3人が適応障害で休職、退職
  • 子育て経験者が多い

私の状況・性格

  • 事実上の一人部署
  • 簡単な仕事はサポートしてくれる人がいる
  • 専門性の高い業務
  • 前任のベテランが退職後、穴があいたまま
  • フルタイム→産休育休→時短パート
  • 経験と実力ともに浅く不足
  • 夫は激務で当直勤務あり
  • HSPで断り下手
  • 1児のママ

なぜ退職を選んだのか? ~適応障害で、休職しないで退職を選んだ話~

簡潔に書くと、傷病手当金をもらえない(私の場合)、ストレス源の会社としっかり離れたかった、会社への不満、自分を大切にしようと決断したからです。

傷病手当金をもらえないから

夫の扶養の範囲内で働いていたためです。

配偶者や家族の被扶養者でパートをしている場合は、被保険者として認められないため対象外です。

対象の人なら、休職・退職どちらを選んでも受け取れます。

休職の大きなメリットは、休みつつお金を受け取れることです。時短パートとなり夫の扶養になっていた私は、傷病手当金をもらう対象外でした。

休職と退職のどちらを選んでも、療養中の収入には変わりがないので、あえて休職を選ばなくてもという気持ちになりました。

受け取れたなら、お金のために我慢を重ねたかもしれません。私は夫が稼ぎ頭だったことと、共働きでの貯金や、ちょっとした資産運用を始めていたので何とかなりました。

休職しても会社から頻繁に連絡がくると予想できたから

さすがに休職中は連絡してこないだろう、とも考えましたが、他にわかる人がいないので、結局は私に連絡がくると予想できました

なぜなら、産休育休のときでさえ、頻繁に仕事の質問や依頼(クライアントへのメール作成や電話なども)がきていたからです

適応障害は、原因となるストレスから離れることが大切なのに、ズルズルと離れられないだろうと判断しました。

専門のクリニックでも、ストレスから離れると症状がよくなると書かれています。

原因となるストレスから離れると症状は改善しますが、逆にストレスからすぐに離れることができない状況が続くと、症状が悪化したり長引くこともあります。

夫は仕事が激務だったので、1歳の娘に1人で晩御飯をつくって食べさせていました。

顔にごはんつぶをいっぱいつけて泣く娘を片腕で抱きながら、ぐちゃぐちゃに汚れた机や床を見つめながら、立ったままで、会社からの電話やメールに対応していたのをよく覚えています。

はりみ
はりみ

思えばあの時から限界は見えていました。

こうならないよう、仕事を誰かに共有させてほしいと何度も願い出ていましたが、人手不足のため、かなわずにいました。

悲しいことですが、引継ぎをして退職した後も、質問や相談はしばらく続きました。

会社からの頻繁な連絡から逃れたかったのが、退職を選んだ理由の1つです。

復職しても、同じことを繰り返すだけだから

限界を訴えた私に会社が望んだのは、今以上の働きでした。

・診断書を見せても仕事を増やされる会社には、戻ってきても同じことの繰り返し

・休職して元気になって戻ってきたら、業務と責任がさらに増えるのでは

そう感じ、会社を離れる決意を固めていきました。

精神科に通院を始めてから、会社には定期的に相談をしていました。その間、業務は減ることはなく、少しずつ増えていました。

タイミング悪く、サポートして下さっていた人たちが全員退職しました。当然その仕事は、私に戻ってきます。

主治医から休職を強く勧められたとき、会社からの指示で診断書を提出しました

主治医は「適応障害のため仕事の負担を減らす必要がある」旨を書いてくれました。しかし会社の答えは「今まで以上に業務を増やす」というものでした。

はりみ
はりみ

私のできる働き方と、会社の求める働き方に、大きな溝ができている…

そう理解しました。これでは休職して戻ってきても、ますます辛くなるだけだと。

休職の間に人が育って環境が改善される可能性もありますが、私の場合は産休育休の前例があったので、期待できませんでした。

納得できないことがあったから

適応障害で仕事の負担を減らしてもらった人が、既に何人かいました。しかし、先ほど書いたように私は認められませんでした。

そのほかにも「ほかの人には負担を軽くしていて、私はなぜ?」とおもえる違いをいくつも見つけてしまいました。例えば専門外の業務の負担軽減や、在宅勤務を認めるか否かなどです。

いま思えば、専門職だったため、そうするしか道がなかったのでしょう。

「前例があるので認めてほしい」と訴えることはできたでしょうが、そうしてまで残りたいとは、思えなくなっていました。会社との根本的なすれ違いを感じ、気力も残っていませんでした。

はりみ
はりみ

後にも書きますが、人員整理で1人当たりの負担を増やす計画があったそうです。その頭数にはいっていたのでしょうね。

私は大切にされていないと客観的に理解したから

理由は2つあります。

1つめは、会社との面談で、「仕事の負担を減らすなんて、認めない!」と強く言われたことです。机に置いた診断書を叩きながらでした。とてもショックで、その光景は今でも頭の中に残っています。

2つめは、「負担軽減は認めないが、働きたければ、働けるという診断書をもらいなおしてくるように」と言われたことです。

負担軽減NGも、診断書のもらいなおしも、会社からの正式な返答です。

そういえば仕事でも、こんな言い方で押し切られていたな…と、頭の中の最後の糸がプツっと切れてしまいました。

しかし私は、それでもいいから働こうと一度は思ったのです。今思うと怖いですね

しかしその直後から吐くようになり、運転中も吐き気で身の危険を感じるようになりました

車の後ろの席に娘を乗せ、通勤前に保育園に送り届けていたとき。なんども吐き気がくるので膝の間にビニール袋を挟んで運転していました

赤信号で止まるたびにえづき、涙を拭いて、運転をしていました。危険運転ですよね。周りの方に被害がでなくて本当に幸いでした。判断もそうとう鈍っていたのだと思います。

はりみ
はりみ

押し切られてしまう私の弱さも原因だったと反省しています。

オフィスの人数が減ると知ったから

人員整理と大幅な異動があると、仲の良い人から教えてもらいました。電話対応や雑務など、一人当たりの負担が増えることになります。

通常業務以外のことも増えるなんて、どう考えても無理でした。

心を病んで退社した人、病みながら働いている人が多い職場だったから

「過去に精神疾患でやめた人が何人もいる職場にも原因がある」と精神科の主治医が話してくれました。休職か退職かの瀬戸際になって、やっとこの事実に目を向けられました。

これまでは、私だけは大丈夫と思っていました。

今思うと、かなり不自然な環境かもしれません。

「心と命が最優先」と感じたから

会社の一員でママである前に、ひとりの人間である私が元気でいれば、未来はつながっていくと考えなおしたのです。

退職したら収入がなくなる。子どもの保育園も退園になるかもしれない。不安は山ほどありました。

それでも、うつ病に進行してしまったら、自殺の可能性もあります。今は適応障害で済んでいるけれど、中途半端に休職して会社とつながったままではいけないと思ったのです。

退職してどうだったか? ~適応障害で、休職しないで退職を選んだ話~

引継ぎと駆け込み仕事が大変だった(退職前)

基本の操作マニュアル作りから命じられ、とても苦労しました

私が辞めるという話は一気に社内に広がって、まだ居るうちに!ついでにこれも!と駆け込みの仕事が相次ぎました

私は半分思考停止していて「自分さえ頑張れば」と何もかも背負ってしまうほど病んでいたので、全てを捨ててやり遂げるしかありませんでした

はりみ
はりみ

あのプロジェクト、あのマニュアル、作り直した一覧表、本当に役に立っているのかな…

有休の間も、会社からの連絡はやみませんでした。有休も使い切ることができませんでした。

仕事が共有されていたり、引継ぎが大変でない仕事なら、スムーズに退職しやすいですね。

それでも、休職して遠隔で物事を引き継ぐより、まだ目の前で引き継ぐ方がやりやすかったです。

冷静な判断ではなかったかもしれない

一般的には、まずは休職して落ち着いてから考えることが良いとされています。私の場合は、退職して後悔はしていません。

はりみ
はりみ

休職中もずっと、会社からの連絡が続いたかもと思うと、今でも胸が苦しくなります。

会社からの仕事の連絡は3か月続いた

心が本当に休まったのは、会社からの質問の連絡がなくなってからです。連絡が続く間は、プレッシャーや動悸や吐き気がずっとしていました。休職だったら、ずっと心が休まらなかったでしょう。

私の体調を知っている人からさえも、気軽に質問をされ続けました。引き継がなくてよいと指示された大きな業務を、やっぱり教えてほしいという連絡もきました。

見かねて問題提起してくれた人がいたそうで、次第に連絡は来なくなりました。

ストレス源から、休職より早く離れられた

「休ませてもらっているから、迷惑をかけている」「休んでいても、私の仕事だから責任がある」というプレッシャーから離れることができました

会社からの質問にも、あえて丁寧に答えないように意識しました。退職したおかげで、会社から質問が来ても、「やれることはやって、退職した身だから…」と心の中で強がることができました

罪悪感を感じずに済んだ

そのころの私は、何もかもが自分のせいで、会社とつながること自体が苦痛になっていたからです。

「休職=休ませていただく。会社は私を雇用しているので負担がある。私がいるから人員補充もできない。こんな私がしがみついても、迷惑になる。去った方がいい。休職したら満足な引継ぎもできないから皆に迷惑」と本気で思っていました。

保育園は引き続き利用できた

保育を必要とする要件のひとつにある「疾病(病気やケガ)」に該当したからです。主治医に診断書を書いてもらい、必要書類に添えて提出すればOKでした。

ただし「仕事をやめた」ことは周りに言い出しにくく、罪悪感を感じました

これがもし休職なら「今は体調を崩してお休み中なんです」のようにソフトないい方もできますね。

園長先生がとても良くして下さる方だったのが救いです。

もし休職していれば…と考えること ~適応障害で、休職しないで退職を選んだ話~

結論、休職のメリットは確かに受けられたけれど、なかなか療養できずに回復が遅れただろう、そしてギリギリの崖っぷちにいた私は、大きなミスや事故をおこして人を巻き込んでしまったかもしれないと考えています。

たとえば、こんな感じです。

  • 急で後任もいないから、毎日大量の質問や連絡を受け続けただろう
  • 職場の人、クライアントへの連絡もしなければならなかっただろう
  • ↑それらが原因で、自分のペースで過ごすことができなかっただろう
  • 「休職したせいで…」という罪悪感がのしかかっただろう
  • 復職したら弱い立場になり(自分がそう思う)、会社からの無茶も今まで以上に断れなかっただろう
  • いつかは復職しなきゃいけないプレッシャーに押しつぶされただろう
  • 外で会社の人とあう気まずさが強くて、休職中は家から出られなかっただろう

基本的には、休職中は業務への従事は禁止です。業務連絡も基本的には禁止になります。

休職のメリットもたくさんあります。

  • 休職は無職ではないので、社会的信用は保ったままでいられる
  • 履歴書に空白が生まれない
  • お金と将来への不安が退職より軽い
  • 休職中に求人を探せる
  • 基本的には診断書を出した翌日から休める
  • 保育園利用に罪悪感が少なくて済む

1つだけ思うのは「基本的に休職中は会社は業務連絡をしてはいけない」というルールを会社が守ってくれて、傷病手当金をもらえたのたら、休職してから退職を選んだかもしれないということです。

とりあえず休職して、頭を落ち着かせるか、どうしても耐えられなければ退職願いを出すこともできたのではと。

退職後 ~ついに、休職しないで退職~

ずっと寝不足だったので、昼もひたすら眠っていました。 仕事をやめてしまったという悲しみと喪失感でいっぱいです。起きていても、電気もつけずに一人でずっと泣いていました

辞めてからも会社からの質問は数か月つづきました

プレッシャーと悲しみと悔しさと怒りで、心はぐちゃぐちゃでした。もう関係ないはずなのに、いつまでも「私がなんとかしなきゃ」と背負っていました。

それから3か月~半年ほどして、心と体はずいぶん回復しました。子どもに怒鳴ることも、泣きわめくことも、吐くこともなくなりました。

そのころの記事がこちらです。

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働いていたころを思うと、もう二度と戻りたくない世界だったと感じます。 今でもストレスを感じると吐きそうになったり、嫌な記憶が鮮明に思い出されます。

早く療養に入れたのは、ストレス源からしっかり遠ざかったおかげだと思っています。宅食のおかげで食事をしっかりとれたのも良かったです。

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求職手当の給付期間延長手続き

もしも休職を選ばず退職し、すぐに求職もできない場合は失業保険もでません。次に就活をするかはわからなくても、求職手当の給付期間延長手続きをしておくことをお勧めします。

最寄りのハローワークによって必要な書類の書式が違うので、予め聞いておくだけでも安心ですよ。

診断書や領収証でも認められると書かれているサイトもありましたが、私の最寄りのハローワークではNGでした!私の場合、ハローワークから貰う書類に、医師に書いてもらう必要がありました。 こちらの説明がわかりやすかったです。

さいごに

休職か退職かを悩むほど追い詰められているあなたへ。

もしすでに、休職か退職をすると決めているのでしたら、すぐにお休みに入ることを心の底からおすすめします。数日、有休をとるのもいい方法ですよね。

そして、休職中や退職後は、仕事の連絡にはどうか出ないでください。私のように一度返事をすれば、何か月も無償でアドバイザーを務めることになってしまいます。

きっと今まで、自分より会社を大切にしてきたんですね次は自分を一番に大切にしてあげてください。

だれかが急に休職・退職したって、会社はなんとでもなります。

万が一、あなたが欠けて会社がまわらなくなったら、それは会社の管理の問題です。誰にだって、いつ事故にあって突然出社できなくなる可能性はあるのですから。

あなたが責任を感じなくても、大丈夫です

はりみ
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とりあえず明日は、お仕事、お休みしませんか?

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はりみ
はりみ
HSP×自閉症傾向ありかける自己肯定感の低い、アラフォーママ
HSP(非HSS型HSP)で自己肯定感が低く完璧主義な性格で、自閉症スペクトラムの傾向があります。適応障害と強迫性障害を経験したアラフォーママ(元ワーママ)です。

中学時代に自分が大嫌いになり、あらゆる挫折を経験してきました。ありのままの自分に誇りをもつのが目標です。

考え方や環境などを少しずつ変えて楽になった経験から、生きづらさやストレスを減らすための工夫やヒントを中心にお伝えします。
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